よはくのらくがき

2005年から社会人、2016年からフリーランス。時折会社員へと往復したり、色々働くを実験・実践中。気づいたこと考えたことをまとめていきます。

「飽きる」は悪いことじゃない

こんばんは。すっかり寒くなってきました。

今回は、最近の最も大きな気づきだった「飽きる」との付き合い方について。

 

「飽きる」は必ずしも悪いことじゃない

日々生きてると、物事に「飽きる」ことがあります。

仕事や勉強、繰り返してること、食べ物、などなど。

 

私の主観ですが、

特に仕事や勉強において、「飽きっぽい」ことは、ネガティブに捉えられがちです。

「すぐ諦める」「我慢・粘り強さが足りない」「やり抜かないといけない」などなど。

 

社会生活を送る、誰かと何かを行う上で、飽きたからすぐやめる、が良くないこともありますし、

「引き際」「去り際」はとても大事です。

(余談ですが、私個人で言うとこの辺の失敗や反省は多々、、、)

 

以前(といっても最近まで)私は、この「飽きる」ということについては、

「ネガティブ」な感情を持っていました。

(そして私自身とても飽きっぽいので、飽き性なことが嫌でした)

 

ただ、その中で、「飽きる」という感情そのものは、

悪いものではなく、「大事なシグナル」だと思うようになりました。

 

「慣れない」→「慣れる」→「飽きる」の3段階

「飽きる」の前には「慣れる」があって、

「慣れない」よりも「慣れた」方が、物事はうまく進められます。

(熟練度、と言い換えられます)

「慣れた領域」の方が、パフォーマンスは高くなります。

なお、「飽きて」も、「慣れている」ので、「出せるパフォーマンス」そのものは落ちません。

(飽きた上で物事の進め方が雑になったり、いいかげんになったら、パフォーマンスは落ちますが、飽きるのと直接は関係ないと思います)

 

「飽きる」には個人差がある

そして、「飽きる」には個人差があります。「飽きっぽい人」と「飽きっぽくない人」。

 

どっちが良い、という話ではなく、どちらも個性です。

ルーチンワークが好きで得意な人、変わらないことが好き・得意な人もいれば、

変わらない、だと飽きてしまう人もいます。

 

「飽きる」とどう付き合うか

飽きるとの付き合い方は、いくつかあります。

・別のことを探し、見つかったらそちらに移る

・一見「飽きた」ことに新たな楽しみを見出す

・我慢する

実際にはこれらをうまく使い分けたり、ハイブリッドで取り組んだりしますが、

「飽きている状態を認識する」ことは、とても大事なことだと思います。

(認識しているのとしていないので大きな差があると思います)

 

「飽きない・飽きさせない工夫」はとても大事

一方で、「飽きる」に対して色々と工夫することは、とても大事です。

飽きない工夫をどうやるか、飽きさせない工夫をどうやるか。

 

ゲームやアトラクション、サービスにおいては当たり前に行われていますが、

仕事や勉強においては、実はあまり工夫されたり、目を向けられていないように思います。

 

「飽きる」との付き合い方、もっと上手くなりたいものです。