こんばんは。すっかり寒くなってきました。
今回は、最近の最も大きな気づきだった「飽きる」との付き合い方について。
「飽きる」は必ずしも悪いことじゃない
日々生きてると、物事に「飽きる」ことがあります。
仕事や勉強、繰り返してること、食べ物、などなど。
私の主観ですが、
特に仕事や勉強において、「飽きっぽい」ことは、ネガティブに捉えられがちです。
「すぐ諦める」「我慢・粘り強さが足りない」「やり抜かないといけない」などなど。
社会生活を送る、誰かと何かを行う上で、飽きたからすぐやめる、が良くないこともありますし、
「引き際」「去り際」はとても大事です。
(余談ですが、私個人で言うとこの辺の失敗や反省は多々、、、)
以前(といっても最近まで)私は、この「飽きる」ということについては、
「ネガティブ」な感情を持っていました。
(そして私自身とても飽きっぽいので、飽き性なことが嫌でした)
ただ、その中で、「飽きる」という感情そのものは、
悪いものではなく、「大事なシグナル」だと思うようになりました。
「慣れない」→「慣れる」→「飽きる」の3段階
「飽きる」の前には「慣れる」があって、
「慣れない」よりも「慣れた」方が、物事はうまく進められます。
(熟練度、と言い換えられます)
「慣れた領域」の方が、パフォーマンスは高くなります。
なお、「飽きて」も、「慣れている」ので、「出せるパフォーマンス」そのものは落ちません。
(飽きた上で物事の進め方が雑になったり、いいかげんになったら、パフォーマンスは落ちますが、飽きるのと直接は関係ないと思います)
「飽きる」には個人差がある
そして、「飽きる」には個人差があります。「飽きっぽい人」と「飽きっぽくない人」。
どっちが良い、という話ではなく、どちらも個性です。
ルーチンワークが好きで得意な人、変わらないことが好き・得意な人もいれば、
変わらない、だと飽きてしまう人もいます。
「飽きる」とどう付き合うか
飽きるとの付き合い方は、いくつかあります。
・別のことを探し、見つかったらそちらに移る
・一見「飽きた」ことに新たな楽しみを見出す
・我慢する
実際にはこれらをうまく使い分けたり、ハイブリッドで取り組んだりしますが、
「飽きている状態を認識する」ことは、とても大事なことだと思います。
(認識しているのとしていないので大きな差があると思います)
「飽きない・飽きさせない工夫」はとても大事
一方で、「飽きる」に対して色々と工夫することは、とても大事です。
飽きない工夫をどうやるか、飽きさせない工夫をどうやるか。
ゲームやアトラクション、サービスにおいては当たり前に行われていますが、
仕事や勉強においては、実はあまり工夫されたり、目を向けられていないように思います。
「飽きる」との付き合い方、もっと上手くなりたいものです。