よはくのらくがき

2005年から社会人、2016年からフリーランス。時折会社員へと往復したり、色々働くを実験・実践中。気づいたこと考えたことをまとめていきます。

【作成中】境界線の組織論

骨組みから作って、徐々に作成を進めて、リンクを継ぎ足していく予定です。

(一応目次も見られるようにはしますが、体裁を整えることは意識しません)

 

0.はじめに:これをまとめる動機

 

1.「個人」「組織」「仕事」のアップデート

・個人のアップデート

・組織のアップデート

・仕事のアップデート:

 

2.営利組織の4つの機能

・稼ぐ

・創る

・支える

・進化する

 

3.良い組織の3要素

・ベストメンバーを揃える

 ・適切に入る

 ・適切に留まる

 ・適切に出る

・個が能力を発揮する

・チームワークを発揮する

議員の資質を考えてみる

こんばんは。久しぶりのブログです。

ちょっとまとめて書きたいこともあるんですが、それは次回以降として、

今回は表題の内容、気になって調べたり考えたりしてみました。

(ちなみに今週末、東京都議会議員選挙があるのです)

 

これまで良さそうな人を探して投票する、という行動を「なんとなく」やっていたなぁと思い立って、

改めて、以下の観点で整理して、考えてみました。

(と同時に、今までこの辺考えてなかったことを反省)

 

①議員や議会の役割って?

②役割をこなす上で必要な資質は?

③資質はどうやって読み解くのが良さそうだろう?

 

なお今回のインプットは、「都議会議員 仕事」で検索して出てきた、

10〜15のサイトを眺めています。

(内訳は、東京都の公式が5つほど、新聞系のサイトが2つ、おそらく(元)議員の方のページが3つ、情報サイトが2つです)

あくまで私なりの整理・理解ですので、もし相違点等があればやさしくご指摘いただいたり、

ご自身で調べてみたりしてください。

 

①議員や議会の役割って?

「お金の使い方を決める」ことと、「法律や条例をつくる」ことがあり、

これらを行う上で必要な情報を集めたり、市民の意見を聞いたりすることが、

主な仕事のようです。

 

予算については、「知事」と「議会」が並び立つ構造になっていて、

知事(草案は公務員なのかな?)が示した予算案を精査し、

「行政としてのお金の使い方」を議論し、決定しているようです。

 

また、法律や条例(あえて抽象度を上げてふわっと書いています)をつくる過程では、

予算と同じく知事側が出すこともあれば、議員から出すことや、

市民から上がってくることもあるようです。

 

②役割をこなす上で必要な資質は?

ここまでは前提でしたが、じゃあこれらの役割行う上で、

どんな資質が必要なんだっけ?ということを考えていきます。

 

・草案が妥当か、合理的/多面的に判断する力

 →適切につっこみ、修正を促す力も必要そう

・市民の意見を広く吸い上げる/理解する力

・意見を反映しているよ、ということを伝える、発信する力

・専門家を正しく見つけ、情報を収集する力

 

おそらくこの辺が必要になってくる、この辺の能力が高い人が、

多く議員にいると良いのだろうな、と思います。

 

なお個人的には、

過度なアピール上手ばかりが集まっても議論の質は上がらなそうだと思うので、

発信する力よりも適切な目利きの方が大事にされていると良いな、と思います。

 

③資質はどうやって読み解くのが良さそうだろう?

で、ここからは「投票行動をどうとるか」なのですが、主な情報源は、

政見放送

選挙公報

・街頭演説

が受動的な情報としてあり、

・ネットその他の文章を検索したり、調べる

ことが能動的な情報収集として思い浮かびます(これも抜け漏れあるかも)

 

とすると、これらの受動的な情報発信が「適切か」「わかりやすいか」「共感できるか」、及び、

「能動的な情報収集元」が整っているか、を見ていくと、

より適切(だと思える)投票行動を取ることができそうです。

(能動的に情報収集をする、よりも受動的な情報にうまく整理できてると良いなと思います)

 

また、企業での採用だと、エキスパートほど「経験者」を採用することを考えると、

「議員経験者」が一定割合いることは、議会が運営される上では重要なんだと思います。

(あくまで割合、なので、一定数は新規の人がいた方が良い、とも思います)

また、経験者については、「実績」を見ることができる(はず)ので、

実績が示されているか、示された実績が期待値に届いているか、を

判断すれば良いはずです。

(逆に言えば、現職者/経験者なのに実績をアピールしてない/できない人、

 あるいは反省や振り返りをしている(PDCAが回っている)人の方が、

 期待値が高いように思われます)

未経験者の場合は、「ポテンシャル」がありそうかを、読み解いていく形になります。

 

・・・今までこの辺をあまり考えられてなかったという反省を踏まえつつ、今週末の選挙からは自分なりの視点を整理して、投票に臨めたらと思います。

 

採用の目的が変わってきた

企業における人材採用の目的が、数年前から今、そして今から数年先に向かって、

変わっていくのではないか?と思う出来事にいくつか遭遇する機会があり、

このタイミングで「採用の目的」について、自分なりに考えをまとめてみることにする。

(ここで言う「採用」は、社員としての採用だけでなく、もう少し広義の仲間集め、と解釈する。また、本文では採用の主体は企業として記述する)

 

■採用には3つの目的がある

まず改めて、採用の目的は以下の3つで説明できると考える。

 

①やるべきことをやるため(Mustの推進)

 企業には経営理念や存在目的、経営目標がある。売り上げ向上や、新規事業の開発など、事業に直接関わることもあれば、コーポレート部門と呼ばれる、会社を支える役割など、やることは多岐にわたっている。

 これらの「やるべきこと」を遂行することで、経営は推進され、結果として目標が達成される(達成されないこともある)。

 この「やるべきこと」をやる上で、(特に成長志向の強い会社ほど)現有のリソースでは足りないことが多く、これを補うために、人を採用する。

 

②できることを増やすため(Canの拡張)

 特に成長フェーズにある企業や、新規事業領域に進出する企業であればあるほど、「今いる人ではできないことをできるようになる」必要性やWillが生じてくる。

 これらを実現するための採用、という位置付けが、採用の目的の2つ目である。

 「ハイクラス」や「クリエイター」、「新規事業人材」の登用であったり、上場準備にかかる企業が上場を経験した人材を採用する時などはこれに当てはまる。

 これまでに自社で保有していないスキルをもった人材を採用し、定着するプロセスでもあり、ものすごく大雑把な言い方ではあるが「組織力の高い企業」でないと、活躍してもらうことができず、早期離職になるケースがある。

 (そしてこのケースは多く見られる)

 

③やりたいことを増やすため(Willの拡張)

 3つ目の、そして今回この記事を書く動機にもなった要素が、この「やりたいこと、Willそのものを増やす」が、広義の採用における3つ目の目的である。

 熱量の補充、とも言うこともできる。

 

採用の目的は、上記のうちどれか1つに当てはまる、というよりは、これら3つの要素を複合的にもっていて、それぞれのケースにおいて割合が異なってくる、という捉え方が適切だと考える。

 
■目的の重み付けが、時代と共に徐々にシフトしてきた
かつて「ある程度正解が決まっており、推進力の大きさが企業の成長や成功を裏付けていた時代は、優先順位は①>②>>③であった。
経営がやりたいことを実現するための採用(リソースの確保)、という文脈が強く、
そうなると、むしろ③は統一性を損ない、極端なケースで言うと分裂のきっかけにもなりうるので、要素として無い方がよかったとも言える。
(表向き、求職者に向けてはそうは言わなかったし、言わないが)
 
時代が進み、変化が速く不確実性が高い「正解が無い」時代になったことで、
企業の成長に向けて②の重要性が増してきた。
これらは「ジョブ型採用」や「ハイクラス採用」という形で具現化され、主にベンチャーやスタートアップにおいてフェーズが変わるシーンにおいてとても重要な位置付けを担っている。
ここでも③の「やりたいこと」は、経営陣とすりあっているか、あるいは意志や熱量は弱い方が好ましかったのではないか、と考える。
(「自ら考える、ただし経営陣と意思が対立しない」人材が求められていたように思う。ニュアンスが伝わりづらいが)
 
そして今後において、③の位置付けが変わり、「意思や熱量」の重要度が高まってくるのではないか、というのが、今回主張したい点である。
 
■ベクトルが(やや)異なる熱量は何をもたらすか、なぜ重要になってくるか?
雑な言い方をすると、組織において「ベクトルが異なる熱量」を受け入れることは、カロリーがかかる、面倒なプロセスである。
スムーズに物事を進めるだけであれば、方向性の違いには折り合いをつけたり、押さえ込んだり、取り込まなかったりする方が、よほど効率的だ。
(もっと言うと、意思を持たないAIやコンピュータを導入し、使いこなすのが最も効率的である)
 
にもかかわらず、なぜベクトルが(やや)異なる熱量が重要なのか?と言うと、
「予測できない化学反応」が、既存の熱源にも刺激をもたらし、新たな熱量の呼び水となること、及び、
特に自律分散的に成り立つ組織においては、一人ひとりの熱量はほっとくと分散傾向にあり、
かつ変化がないと「飽きる」原因にもなる。
一定期間毎に新たな熱量や、それによる化学反応が生じることは、これらを予防し、組織の活力を維持向上させることに繋がるからである。
 
もちろん「異常値」や「エラー」、「失敗」も増えるし、そもそも非効率で面倒くさいプロセスではあるのだが、
これらを嫌がらず楽しむ、楽しめることは、これから益々重要になってくるのではないか、と考える。
 
■採用を行う組織は、③をどう位置付けるか、外部の(方向性の若干異なる)熱量をどう扱うか、を考えよう
まだまだ多くの企業や組織は、「オンボーディング」のプロセスに、「新規参画者をどう取り込むか?」という視点で臨んでいるように思う。
 
しかし、方向性の若干異なる熱量と、それを受け入れることで起こる化学反応を楽しめるかどうかは、組織がより強くなる上で重要な過程であり、今後益々重要になっていくと考える。ここにチャレンジすることは、かなり価値があると考える。
 
 
■新規参画(検討)者は、①〜③を意識しよう
逆に、組織に新規参画する、または検討する人は、
自らに①〜③のどの要素が求められているのか?
①〜③の視点で、自らは何をもたらすことができそうか?
を考えることが大事になってくる。
①やるべきこと、求められていることをやる、だけでは変化には対応できない。
②できることを発揮する、だけでは味気ない。
③組織に関わることで、自らの熱量はどう変化するのか、その(展開が読めない)変化に自らがワクワクできそうか、
に思いを馳せることは、働く場や活動する場を選ぶ上で、かなり大事になってくる。
これは正社員、フリーランス、ベンダーなど、立場を問わない。
 
・・・書きたいことを思いつくまま書いたら、かなり発散的になってしまったが、
この記事が組織や個人の熱量との向き合い方を考えるきっかけになったり、これを読んで頂いた方と熱量について議論できる機会があれば良いなぁ、と思う。
 

【意訳的まとめと考察】ブルシット・ジョブ

先日読んだ本のサマリに、考察をつけて。

(意訳多め、訳したい部分を中心に訳すので、全容が知りたい方は原著をお読みください)

www.amazon.co.jp

 

文化人類学者のデヴィッド・グレーバー氏が2013年に発表したレポートを元に書かれた書籍。

章立ては以下の通り。

 

序 章 ブルシット・ジョブ現象について

第一章 ブルシット・ジョブとはなにか?

第二章 どんな種類のブルシット・ジョブがあるか?

第三章 なぜ、ブルシット・ジョブをしている人間は、きまって自分が不幸だと述べるのか?

第四章 ブルシット・ジョブに就いているとはどのようなことか?

第五章 なぜブルシット・ジョブが増殖しているのか?

第六章 なぜ、ひとつの社会としてのわたしたちは、無意味な雇用の増大に反対しないのか?

第七章 ブルシット・ジョブの政治的影響とはどのようなものか、そしてこの状況に対して何をなしうるのか?

 

【意訳的まとめ】 ※本文からの引用も含みます

ケインズが1930年に、「テクノロジーの進化により標準的労働時間は週15時間になる」と言っていたが、現代においてそうはなってない。むしろ過労が社会問題化するほどに、労働時間は増えている。

これは、ブルシット・ジョブが増えていることに起因している。

 

ブルシット・ジョブの暫定的定義は、【従事者本人すら無意味で、害ですらあると思っている仕事】である。

生産性が高くない仕事や、低賃金の仕事などを想起されることもあるが、これらはブルシット・ジョブではない。

 

ブルシット・ジョブには、

・取り巻き:誰かを偉そうに見せたり、偉そうな気分を味わせたりするためだけに存在している仕事

・脅し屋:雇用主のために他人を脅したり欺いたりする要素を持ち、そのことに意味が感じられない仕事

 →例えば殺し屋や詐欺師など「意図的に」この仕事に従事しており、本人が「意味を感じる」場合はブルシット・ジョブとは言えない

・尻拭い:組織のなかに存在してはならない欠陥を取り繕うためだけに存在している仕事

・書類穴埋め人:組織が実際にはやっていないことを、やっていると主張するために存在している仕事

・タスクマスター:他人に仕事を割り当てるためだけに存在し、ブルシット・ジョブを作り出す仕事

の主要な5類型がある。

 

ブルシット・ジョブに従事することは、そのジョブが生産的でないばかりではなく、当人の精神衛生にも、よくない影響を及ぼしている。

この場合、当人は意識的に、または無意識でブルシット・ジョブであることを認識しており、ブルシット・ジョブに従事することで自分をすり減らしてしまっている。

 

ブルシット・ジョブの多くは、高報酬な傾向にある。高報酬だが、なくなっても実は誰も困らない仕事が、

世の中にはたくさん存在する。

(かつ、当人も実はそれを認識している場合がきわめて多い

一方で、エッセンシャル・ワークと呼ばれる仕事の報酬が低いことがしばしばある。

 

ブルシット・ジョブは、高報酬が故に、これを守ろうとする力学も働きやすい。例えば業務のシステム化や合理化への反対圧力は、至るところで度々働いている。

また、手続きを「あえて複雑にする」現象は至るところで目にする。

 

後半で、ブルシット・ジョブの発生背景としての資本主義の隆盛や、労働の歴史的背景への言及している。

また、「本のなかで政策的提言を行うのを好まない」としつつも、ブルシット・ジョブの解消策としての

普遍的ベーシックインカムに言及しているが、意訳的まとめ、かつ他の書籍等でも多く言及されている部分なので、本稿では省略する。

 

【考察】

「需要と供給の逆転と不均衡」が、現代がこれまでの時代と異なる特徴だと考えているが、本書での指摘は、これが商品市場だけでなく労働市場にも現れている、と言えると考える。

 

逆転について。商品市場においては、「作れば売れる」時代ではなくなって久しい。

これと同様のことが労働市場にも言え、「ケインズの指摘通り、労働時間は15時間で足りる」状態である。

 

不均衡について。例えばフードロス問題がある一方で、飢餓はなくならない。物資過剰やゴミ問題がある一方で、物資不足や生活必需品が揃わない、という問題が生じている。

同じ現象が労働市場にも言え、失業問題が生じる一方で、特にいくつかの職種や業界において、慢性的な人材不足という状態が存在している。

 

より本質的には、「失業が問題」であることこそが真の問題であると言える。

失業が問題なのは、「業」が無いと「生活ができない」ためであり、実はこの問題を解消する一手段として、

ブルシット・ジョブが発生/存在している、とも言えるのではないか。

 

また、ブルシット・ジョブ現象を考えると、雇用者が「やりがい」「モチベーション」の向上に腐心するのは、とても合理的であると言える。

至るところで「仕事や仕事の成果そのものが無意味」という事象が生じているとすれば、自社内にはそんな仕事は無いとする(実際になくす、または無いと主張する)ことは、従業員のリテンションにも繋がり、採用にも効果を発揮する。

 

また、「市場原理/競争原理」は良し悪しがあることも、本書を通じて考察した。

市場原理/競争原理の良い点としては、働く意欲や原動力になることがある。

 

高い報酬は経済的に豊かな生活を可能とし、経済的に豊かであることは、「やれること」を増やすため、

大きなインセンティブ/活力の源となり、結果として「努力する」「上昇する」「成長する」ことにつながる。

 

反対に悪い点として、質の悪い仕事を生み出す原因になると考える。

特に、文化(アートや音楽、文芸など)に関する領域は、「作り手の生活が成り立つこと」が、

作品の(悪い意味での)大衆化や商業化への力学として働いていることがしばしばある。

 

知る人ぞ知る名作、では飯が食えないし、人気の連載(漫画)は継続を求められてしまう。

これは本末転倒だし、人類全体で見れば損失も大きいと思う。

 

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とても意訳だし考察多めだけど、「働くのこれから」に対して示唆に富む本だったので、

関心ある、または関心をもたれた方とこの領域を考察したり議論できたら面白いと思う。

「ロールモデル」の使い分け

こんにちは。

すっかり不定期ブログになっちゃいました。

 

今回は「ロールモデル」について、考え、書いてみようと思ったのでまとめてみます。

 

最近話したり、考えたりする機会がいくつかあったのですが、

一言で「ロールモデル」って言っても、使い方やシーンが割と多様化している、してくるなーとふと思い、考え方/切り口を整理します。

ロールモデルなんか考えるな!という考え方もありますが、「引き出しの一つ」としては割と有効じゃないかと思っています)

私自身が、これまで生きてくる中で上手く扱えてなかったり、整理しきれてない時期にとてもモヤモヤしたことも踏まえています。 

 

切り口は、「1)対象」「2)重ね方」「3)フォーカス」「4)頻度」の4つかなと考えました。

 

切り口ごとに考え、使い分けると良いかなと思います。

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1)対象:有名人にするか/身近な人、知ってる人にするか

使い分け、もしくはハイブリッドが 重要だと思いますが、
面識のない有名人(書籍を書いている人や、歴史上の人物含む)を対象とするか、
面識のある(身近な)人を対象にするかは、使い分けのポイントだと思います。
 
有名人や偉人をロールモデルとする(自身と比較する)場合には「比べ疲れ」に気を付けた方が良いです。
多くの場合、彼ら・彼女らは優れた点がデフォルメ化されており(歴史上の偉人の場合は特に)、「自分を重ねる余地がない」「そんなストイックな努力はできない」等の「憧れを通り越した諦め」が生じてしまうこともあります。
 
また、「憧れるけどタイプが違う」場合もあり、ここも注意が必要です。
 

2)全部を重ねるか/部分的に重なりを見つけるか

次に、どの程度ロールモデルとするか、も考えるポイントだと思います。
これも、「ケースによって使い分け」できると良いと考えています。
 
その領域において初心者(例えば社会人になりたてで、仕事を覚えたて、とか、新しい職種にチャレンジしたて、とか)であった場合は、「全部を重ねる」ことが有効だと考えます。
TTP(徹底的にパクる)という言葉で表現されたり、「守・破・離」の守、の位置付けもここです。
 
一方で、ロールモデルを考える領域において、深みや選択肢の広さ、流派の違いの本質が見えてきた(本質が見えてきた、と思って、実は見えてない場合も多分にあるのですが)場合は、「部分的に重なりを見つける」方が有効です。
 
ここでの注意点は、
何も考えずにとにかく徹底的に重ねろ、真似しろ、という(主に上司やコーチが部下に)指導をするシーンもあり、これはこれで有効な面もあるのですが、
「思考を放棄する癖」に繋がるリスクがあります。
(一方で、斜に構えて変に表面的に捉えるのも、、、ではあるので、バランスが難しいところです)
 
3)能力にフォーカスするか/その背景となる思想にフォーカスするか
次に、ロールモデルのどこにフォーカスするか、です。
何らかの職業や専門領域におけるロールモデルの設定は、能力にフォーカスが当たることが多いです。
自身との知識やスキル、経験値の違いは何かに目が行きがちなのですが、重要なのは「違いを生み出す背景」を掘り下げにいくことです。
(特に年齢や経験の長さの差による)現時点での能力差を比較し、追いつこうとするのではなく(これは比較して辛くなるパターン)、
例えばロールモデルの対象が、自分と同じ頃どんなインプットや訓練をしていたのか、
今どんな課題感や目標を持って、どんなインプットや訓練をしているのか、を
観察し、掴んでいくことが有効です。
 
4)常に頭に浮かべるか/定点観測的に比べるか
最後に、ロールモデルを掲げる頻度についてです。
これは自身のタイプによって効果的に使い分けると良いと思うのですが、
目指す(ロールモデルとする)対象のことを常に頭に思い浮かべることが有効であれば、
PCや携帯の待ち受けなど、見える場所に置いておいたり、毎日その人の本などを読んだりすると良いですし、
常に比較する環境にあることで、逆にエネルギーを失うようであれば、
あえて見える場所においたり意識するのではなく、半年〜1年に1回など、
自身の振り返りのタイミングで比較してみるのが効果的です。
 
==
 
自身のスキルアップや専門性の追求、生き方を考えるにあたり、「前例」を上手く使うことはとても有効なアプローチだと思います。
アプローチ方法はまだまだあると思いますので、是非ご自身なりのロールモデルとの付き合い方を考えるきっかけにしてみていただければと思います!

Numberの将棋特集より、知的能力の開発の学び

ふとコンビニで気になって買ったNumberの最新号(たぶん)、特集は将棋。
3つ、個人的には大きな気付きがあったのでメモがてら。
(雑誌の機軸は藤井聡太さんの特集に仕立てられているんだけど、良い記事がたくさんあった)
1)知的スポーツの「ピーク」について
スポーツより身体能力に左右されない将棋にも、年齢的ピークが存在する。
インタビュイーによって回答は異なるが、
25歳で基本的な能力・スキルは完成され(経験は積めるが)、
35歳〜45歳で衰え始める(ピーク時のパフォーマンスが出なくなる)と書いてあった。
衰える能力は、「記憶力」と「瞬発力」の2つ。
この2つを補う経験や戦い方にシフトしたり、積み上げたスキルの「貯金」で戦っていったりしている。
2)天才は中学生から頭角を現す
中学生で棋士になった方はこれまで5人。
加藤一二三さん、谷川浩司さん、羽生善治さん、渡辺明さん、そして藤井聡太さん。
将棋にそれほど詳しくない私でも5人とも名前を知っている。
(しかも、18歳〜20歳くらいで、トップクラスのパフォーマンスを出しているケースも多い)
これは実は、将棋以外でも当てはまる重要な示唆なんじゃないかと思った。
(身体能力が伴うとピークは異なりそう)
多くの人が「仕事」に触れるのって、早くて高校生や大学生(せいぜいアルバイト)、
本格的に就職するのは大学を卒業してから、が多い。
人間の能力開発が将棋とそれ以外で異なるとは、個人的には考えづらく、
だとすると、中学生までに何らかの「真剣に仕事をする機会」があることが、実はとても大事なことなのかもしれない。
(自分に当てはめると、中学生の時には仕事のしの字も知らなかった)
3)AIとうまく付き合い、自らを高めている
囲碁や将棋は、AIと人類のトップがしのぎを削っている。
本誌によると、進化したAIの打ち筋を取り入れ、棋士も進化しているとのこと。
(結果として、AIが時間内に計算しきれない手を打てることもあるよう。今後のAIの進化はわからないが)

自論と引用を考えてみる

最近本を読んでいたり、話をしたりして気になったことを。

 

テキストや会話などで、「自分の考え」として話す時と、

他者の言葉(〜〜に書いてあった、●●さんが言ってた)を引用する時があって、

(本でも、他の文献を引用する場合と、自説を述べるところが存在する)

 

ここに一定の傾向がありそう、かつ、自身の考えや述べていること(または他者から受け取る内容)が今どこにあるのか?を意識することが大事かもな、と思ったので、考えをまとめてみます。

 

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誰の言葉で語るか?どの程度洗練されているか?

 

上図の4つの象限に分けて考えることが大事だな、と整理しました。

 

①洗練された自論

自らの言葉で語られていて、かつ、洗練度や自身としての思い入れ、納得度が高い状態です。

説得力が非常に高く、主にその人の主な専門領域であることが多いように思います。

(正しいかどうか、時代に適合しているかどうか、等は別の話です)

この領域の内容で重要なことは、

より洗練度を高め、深めるためのアップデートを行うことになります。

 

②未成熟な自論

自分の言葉で語っているが、専門度がそれほど高くなかったり、

理論としても洗練されていない状態です。

 

この領域で重要なことは、「まだまだ考えが練られていないな、もっと深められるな」と意識することと、

他者に伝える時に、その前提も含めて伝えることです。

 

話す側がこの領域について自信たっぷりに話すと、ミスリードを招いたり、

聞き手・受け手としてはなんだかモヤモヤしたりします。

(私もモヤモヤする機会が結構ある気がしています)

 

一方で、「壁打ち」として話す内容としては、受け手が考える余白があり、

活発な議論に繋がりやすい領域です。

 

③賢者の知恵を借りる

(主に)名著の引用や、他の人の洗練された考えを引用し、

自らが伝えたいことを伝えます。

「自信を持って」書籍を人に勧めることも、この領域に入ります。

 

後述する④との違いは、他人の言葉を借りているだけで、

基本的には自身の専門とする領域であったり、自身が深く納得している内容であるという点です。

この内容を元に、①を組み立てるか、この領域は引用元の賢者に任せるか、

伝え手によって分かれるところです。

 

④知識のパッチワーク

伝え手が主に専門とする領域ではなく、かつ自身の言葉で語らず、引用して語るケースです。

伝え手は、ある程度の内容理解を伴いつつ、あくまで情報提供、知識の受け売りとして、他者の言葉や情報を扱います。

情報の正しさや、内容の洗練度に対する判断は、受け手が行います。

 

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知識や見識を元にコミュニケーションを行う際、上記4つのどの領域で語っているか、どの領域で受け取るか、意識したり、認識を合わせると、

ストレスやミスリードがなくなるなぁと思います。