よはくのらくがき

2005年から社会人、2016年からフリーランス、色々働くを実験・実践中。気づいたこと考えたことをまとめていきます。

コロナ雑感(社会について) 70%での社会運営を目指す

新型コロナウイルスに伴う社会の変化に対して、思考をまとめ、

「いち個人の意見」として発信してみます。

(数回に分けます。今回は第一弾として「社会」について)

 

目次

■各国政府の対応はすごい

■問われているのは、民主主義におけるモラルと良識・思考

■甚大な被害か、影響ゼロか。影響の有無を切り分けよう

■70%での社会運営を目指す

 

■各国政府の対応はすごい

色々賛否、特に否定的な反応も目立ちますが、

不確実性の高い中、かつ難易度の高い意思決定の連続をこなしている、

「国家運営者」としての各国政府は、本当に凄いなと思います。

 

特に日本は、オリンピック・パラリンピックの開催年度/開催国なので、

諸々の対応の難易度は他国と比較してもかなり高いはず。

その中で、一つひとつの施策やメッセージを打ち出すタイミングや粒度など、

とても適切で凄いな、というのが現時点での印象です。

(もちろん減点ポイントを挙げればたくさん出てくると思いますが、決定的な失点ではないという認識)

曖昧にすべき部分、曖昧にせざるを得ない部分の切り分けも絶妙だと思います。

 

■問われているのは、民主主義におけるモラルと良識・思考

民主主義で社会が運営されている以上、政府/国家がなんでもかんでもできるわけではなく、

特に大事になってくる、問われてくるのは、市民一人ひとりのモラルであり、良識であり、思考です。

 

感染しながらも「うつしてやる」と飲食店を回ったり、予定していたイベントを実施したりすることも、

なんでもかんでも自粛したり、自粛しない人をたたくこともできます。

同調したり忖度し、主だった意見以外が封じられるの(集団圧力)ことも起こりうる。

 

その中で大事なのは、ルールや規制ではなく、

諸々の発信に対して、一人ひとりが一市民として、モラルと良識を元に、

十分に考えて、行動し、発信することだなぁと、改めて思います。

 

国民・市民である以上は、国家・社会の「批判者」ではなく「当事者」として、

ふるまうことが大事だと思います。

 

■甚大な被害か、影響ゼロか。影響の有無を切り分けよう

さて、新型コロナウイルスは、世界的に大きなマイナスの経済影響をもたらしています。

株価は世界的に下がり、立ち行かなくなる企業も出てきていますし、

個人レベルでも影響を受けている人がたくさんいます。

 

でも、全員が等しく同じだけのインパクト・影響を受けているかというと、

そういうわけではありません。

 

影響のある会社や事業は、リアル・対面での価値提供を伴う事業(飲食点やホテル・観光施設、冠婚葬祭など)や、

顧客が単価の高い出費を伴う(不動産や車、家電など)事業など、

深刻なダメージを受けています。

 

逆に、それ以外の会社や事業(電気や電話、インターネットなどのインフラ、賃料収入や、オンラインで運営されているモノやサービス)は、

ほぼ影響が出ていません。

家庭内へのサービスは、(短期的には)プラスの経済効果が出ているかもしれません。

 

個人単位では、「固定給で働いている会社員」は、現時点では経済的な影響は受けていないはずです。

(仕事が完全にストップしたとしても、会社が存続すれば給与は同じ額貰えるはずです)

一方で、影響がある業種の経営者や、派遣社員フリーランス、人員整理を余儀なくされた対象者は、

収入ゼロや大赤字、といった事態にもなってしまっています。

 

全員がちょっとずつ影響を受けているのではないことを、認識するのが大事なんだと考えます。

 

なので、全員に社会保障財政出動をするのではなく、「影響があった人」に対して、

適切にケアをするのが重要だと考えます・

 

■70%での社会運営を目指す

上述の通り、影響を受けている人と、そうでない人に分かれていると、

特に経済は、なかなか実感を持ちづらくなります。

(統計平均で捉えてもイメージは中々湧きません)

 

そこで、70%での社会運営を目指すのが、大事だと思います。

(理想論だとは思っていますが、心がけとして。70%というのはイメージ)

 

どういうことかというと、

前述した「影響を受けてない人たち」は、今あるうちの30%を「余剰」と捉えて、

社会に拠出する気持ちを、

「影響を受けている人たち」は、「ゆくゆく報恩する、今は甘える」ことで、

社会から受け取る気持ちを、

 

それぞれに持つことが、大事なんだと考えます。

 

こういう時だからこそ、助け合い。

寄付やシェア、知恵の出し合い、社会への協力や貢献など、

できることを、無理せず、できる範囲でやっていければと思います。

真理(原則)と常識を考える

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
 
昨年スタートしたブログ、毎週書いて息切れしてしまったので、
今年は「月1本以上」を目処に、書きたいペースで書きたいことを、
書いていく予定です。
 
今年もよろしくお願いします。
 
さて、本題に入っていきます。
 
2020年は、「節目」の年度になりそうです。
オリンピック・パラリンピックが東京で開かれることから、
様々な産業がここにピークを置いています。
 
それによって、「当日」への期待と、「祭りのあと」への不安が、
それぞれ生じているように思います。
(今年はとても盛り上がると思います)
 
また、時代とともに、変化のスピードは早まってきています。
地球単位で物事を捉える機会も増えてきました。
それによって、世代や、地域(国家)間における「常識」のギャップを感じる機会も、
これまでになく増えてきたように思います。
 
そんなタイミングで、
時を問わず大切なもの(真理や原則、以下真理と書きます)と、
時とともに移ろいゆくもの(常識や流行、以下常識と書きます)を、
 
テーマに置いて考える一年にしたいな、と思い、
今年のテーマとして置かせていただきました。
(新年1度目のブログは、このテーマそのものを扱ってみます)
 

真理/常識を4象限で区切ってみる

世の中には、真理と真理じゃないものがあります。
また、その時代や環境に合わせた「常識」や「慣習」も存在します。
「常識」は、時に都合よく(往々にして力の強い者によって)、
真理と呼ばれ、扱われがちです。
(個人的には、こことてもモヤモヤしています)
 
「真理」と「常識」で2×2の4象限に区切って、
一つひとつの事象や考え方が、どの象限に当てはまるのかを、
しっかりと、深く考えていくことが大事だと考えます。
(この記事で最も伝えたいのはこの部分です)
 

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真理と常識を4象限に区切って考える
※①〜④の名付け方はあまりしっくりきていません。
 
①大切にしたい本質(真理かつ常識)
普遍的な真理、かつ、現代でも常識とされていることです。
時代の流れ等の要因で、失われてしまうこともありますので、
失わないよう、大切に扱い、伝承せねばならない考え方です。
 
②移ろいゆく常識
時代に適合した常識のうち、真理ではない部分です。
意図的に、または意図せずに、原則とされることがあります。
また、目の前の問題を解決する、変化を起こすことを考える上での、
足枷になることの多くはここに存在します。
 
③まだ見ぬ真理
真理、本質的なことだけど、常識としては扱われない事象です。
不都合な真実」はここに当てはまります。
まだまだ見つかっていない真理は多くあるんだろうな、と想像します。
(そんなに多くないかもしれないけど)
 
④移ろいゆく非常識
この領域は、真理ではなく、今はまだ常識でもないため、
世には出てきづらいですが、誰かが意図として常識・流行にすることもある領域です。
新しいコンセプトが出てきた時に、
(ちなみに、真理でないものが悪い、というわけではないです。
 時代に応じて便利な考え方もあると思いますので)
 
真理を追求し、常識を疑う
今は、真理が求められている時代だと思います。
一方で、これまでと比べると流れが早い時代でもあります。
(後世の人が流れの早さをどう捉えるか、は未知数です)
 
一つひとつの事象や世の中を考える時に、
上図の②を(多くの抵抗があるが)変化させ、③を見つけていくことを、
是非、考えてみて頂けたらなと思います。
(私は、今年のテーマとして考えていきます)

やりたいことは「なくてもいい」

こんにちは。気がつけば年末ですね。ほんと一年早いものです。

年々早くなってきます。

(ブログを書き始めたのも今年です。かなり息切れしちゃったけど)

 

トナシバ、という越境/複業/人材シェアの取り組み(最近はこう呼んでます)をやってるんですが、

https://tonashiba.work/

その中でnoteを始めたのも今年。

https://note.com/tonashiba/n/nd90830668bdb

今週は就職や転職の際の「軸」の話でした。

(だいたいの面接の場では、軸ややりたいことを聞かれます) 

 

で、改めて、「軸」と「やりたいこと」について考えてみたので、

つらつらと書いてみます。

 

今日の内容は以下の4点です。

■だいたい聞かれる「軸」と「やりたいこと」

■インプットがないとアウトプットはでない

■「軸」は欲しい、「やりたいこと」はなくてもいい

■「何ができるようになりたいか」という選択肢もある

 

それでは順に書いて行きます。

 

■だいたい聞かれる「軸」や「やりたいこと」

就職や転職の際には、「動機」を聞きます。聞かれます。

「志望動機」や、「将来やりたいこと」や、「就職/転職の軸」という形で。

 

私も、採用側としてだったり、キャリア相談を受けたりする際には聞きますし、

評価をする際には、その回答内容も考慮します。

 

その中で、「やりたいことが明確じゃないからNG」というやりとりを聞くこともあるのですが、

実はここに、若干の息苦しさを感じることがあります。

(特に、学生の議論をする際。これを採用基準とすることを否定しているわけではないです。ただ息苦しさを感じるだけです)

 

■インプットがないとアウトプットはでない

基本的に、人が物事を決める際、考える際には、「インプット」を材料とします。

経験であったり、書籍であったり、対話であったり。

 

将来どうしようか、を考える時にも、過去のインプットを元に、

自分は何がしたいのかな、どうなりたいのかな、を考えます。

 

インプットの量や質が足りないと、答えは出なかったり、

出たとしても、(将来振り返った時に)間違った方向を示すことは、よくあります。

(特に後者は厄介だし、時折ですが、ミスリードを促す悪い大人もいます)

 

なので、特に学生だったり若いうちに将来のことを考えて、答えが出ない時は、

インプットの質と量に立ち返ることが、効果的だと考えます。

 

■「軸」は欲しい、「やりたいこと」はなくてもいい

ここで、「軸」と「やりたいこと」について言及します。

「軸」と「やりたいこと」は、似ているようで違いもあると捉えています。

 

「軸」は、目指す方向性、目的、ミッションステートメント、とも言い換えられ、

そこには時間軸やスピード感はいったん存在しません。

インプットやアウトプット、振り返りを通じて、「見つかっていく」「おりてくる」もの、という感覚が近いと思います。

 

一方、「やりたいこと」は、目標、ゴール、とも言い換えられ、

短期的に、中長期的に、と、より具体的にすることが可能です。

「軸を見つけるために、色々なことに取り組む」「軸を見つけたいからやる」

というケースも出てくると思います。

 

論語に出てくる、

不惑(40歳)」が、「軸の発見」に相当し、

「天命を知る(50歳)」が「本当にやりたいことを見つける」に相当する、

と捉えられると思っています。

 

ここでポイントなのは、「本当にやりたいこと」と「やりたいこと」は違っても良い、

というかむしろ違うだろうな、ということです。

(ちなみに私はあと数年で40歳ですが、まだまだ惑いまくってます)

 

■「何ができるようになりたいか」という選択肢もある

さて、話を戻します。

「やりたいこと」を見つける、表明するのって、とても難易度が高いし、

様々なインプットをしないと間違った解を出すことがあります。

 

そして、わからない、見つからないと「焦ります」。

 

その時に、是非考えてもらいたい選択肢があります。

それが、「何ができるようになりたいか」を考えることです。

 

世の中にあるほぼ全ての事業や活動は、「やりたいこと」を「できること」で

積み上げることで実現されています。

(もちろん、一人でできることは小さいので、大きなことを為すにはみんなで協力する必要があります)

 

なので、「やりたいこと」が見つからない時には、「できること」にフォーカスし、伸ばしておくと、

「やりたいこと」が見つかった時に、そこへ貢献できる量が増えることになります。

 

なので、「やりたいこと」が見つからない場合は、「何ができるようになりたいか」を考えて、目の前のことにとりあえずトライしてみる、というのはとても効果的なアプローチで、

結果間違っていたとしても、そこで身につけた、身についたものには大きな価値があります。

 

 

「やりたいことが見つからない」と焦らずに、

気楽に構えて、かつ自分を見つめて向き合って、ができたら、

良い感じじゃないかと思っています。

 

本年のブログはこれで最後になります。みなさま良いお年をお過ごしください。

(今年は息切れしちゃったから、来年はやり方を考えてリスタートさせるつもり)

仕事で使う「部位」を意識する

こんにちは。

久しぶりに「これ書きたい!」を思いついたので文章にまとめておきます。

今回は、仕事等の活動と、鍛えられる部位について。

 

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言いたいこと(目次)

1)知的訓練は筋トレと同じ

2)今の仕事で鍛えられるのはどの部位だろう?を意識してみる

3)「鍛えたい部位」と「活動」をリンクさせよう

 

1)知的訓練は筋トレと同じ

筋トレやランニングなど、トレーニングは、

鍛えたいところを鍛えることで、効果が高まります。

(腕力を鍛えたければ腕の筋トレを行うし、心肺機能を高めたければ

 ランニングや水泳などを行う、くらいのざっくりした捉え方をしています)

同じことを、仕事や研究、学業などの活動(便宜上、以降仕事、でまとめて記載します)にあてはめると、

一つひとつの仕事を、一定期間をかけて継続的に行うことで、特定の能力が鍛えられます。

例えば論理的思考力を高めたければフレームワークを整理する仕事をしたり、

やり遂げる力を高めたければ、一定の目標に対してやり抜いたり、

数値に強くなりたければ数値を扱ったり、

時間の使い方を身につけたければマルチタスクをこなしてみる、

など。

 

逆に、鍛えたい、開発したい能力があったとして、

その部位(と表現するのがしっくりくると思っています)を実際に使っていなければ、

鍛えること、訓練を進めることはできません。

 

2)今の仕事で鍛えられるのはどの部位だろう?を意識してみる

今回最も言いたいことが、

「今やってることと鍛えたい能力がリンクしてないことって、案外多いな」

「どの部位を使ってるか意識する(ふりかえる)ことって、大事だな」

ってことです。

(最近色々な人と話したり、自分自身を振り返ったりしていて)

 

例えば一日でやったことを振り返る際に、アタマのどの部位を使った、

どんな力を使ったかな?と振り返ってみたり、

一日の始まりに、「今日の活動で使うアタマの部位はどこかな?」と思い起こしてみることで、

結構色々発見することがあります。

慣れない領域を使ったり、考えたりすることで、普段より疲れが多い、みたいなことも、

時折あると思います。

 

3)「鍛えたい部位」と「活動」をリンクさせよう

今メインでやってること、目の前で取り組んでいることを通じて得られるもの、鍛えられる部位と、

身につけたい能力や資質が、どれくらいリンクしているか、を比べてみて、

足りない箇所を何かしらの方法で補ったり、

全く一致してない(これが続くと成長実感を感じなくなる)のならば、思い切って環境を変えることを検討してみたりするなど、

 

具体的な解決策まで落とし込むと、半年後や一年後に、その部位を鍛え、成長させることが、

かなり大きな意味を持つなぁ、というのが、最近の気づきです。

(育成する側の視点に立つと、対象者が負っているミッションにおいて、どの部位が鍛えられているかな、次のステージで必要となる能力や筋力は、今の仕事や訓練を通じて準備できるかな、ということを考えると効果的です)

 

 

自分のカレンダーを眺めたり今やってることを棚下ろすだけで、おぼろげに見えてくると思いますので、

ちょっとでもピンときて頂いた方は、是非ぜひ検証してみてくださいませ!

「飽きる」は悪いことじゃない

こんばんは。すっかり寒くなってきました。

今回は、最近の最も大きな気づきだった「飽きる」との付き合い方について。

 

「飽きる」は必ずしも悪いことじゃない

日々生きてると、物事に「飽きる」ことがあります。

仕事や勉強、繰り返してること、食べ物、などなど。

 

私の主観ですが、

特に仕事や勉強において、「飽きっぽい」ことは、ネガティブに捉えられがちです。

「すぐ諦める」「我慢・粘り強さが足りない」「やり抜かないといけない」などなど。

 

社会生活を送る、誰かと何かを行う上で、飽きたからすぐやめる、が良くないこともありますし、

「引き際」「去り際」はとても大事です。

(余談ですが、私個人で言うとこの辺の失敗や反省は多々、、、)

 

以前(といっても最近まで)私は、この「飽きる」ということについては、

「ネガティブ」な感情を持っていました。

(そして私自身とても飽きっぽいので、飽き性なことが嫌でした)

 

ただ、その中で、「飽きる」という感情そのものは、

悪いものではなく、「大事なシグナル」だと思うようになりました。

 

「慣れない」→「慣れる」→「飽きる」の3段階

「飽きる」の前には「慣れる」があって、

「慣れない」よりも「慣れた」方が、物事はうまく進められます。

(熟練度、と言い換えられます)

「慣れた領域」の方が、パフォーマンスは高くなります。

なお、「飽きて」も、「慣れている」ので、「出せるパフォーマンス」そのものは落ちません。

(飽きた上で物事の進め方が雑になったり、いいかげんになったら、パフォーマンスは落ちますが、飽きるのと直接は関係ないと思います)

 

「飽きる」には個人差がある

そして、「飽きる」には個人差があります。「飽きっぽい人」と「飽きっぽくない人」。

 

どっちが良い、という話ではなく、どちらも個性です。

ルーチンワークが好きで得意な人、変わらないことが好き・得意な人もいれば、

変わらない、だと飽きてしまう人もいます。

 

「飽きる」とどう付き合うか

飽きるとの付き合い方は、いくつかあります。

・別のことを探し、見つかったらそちらに移る

・一見「飽きた」ことに新たな楽しみを見出す

・我慢する

実際にはこれらをうまく使い分けたり、ハイブリッドで取り組んだりしますが、

「飽きている状態を認識する」ことは、とても大事なことだと思います。

(認識しているのとしていないので大きな差があると思います)

 

「飽きない・飽きさせない工夫」はとても大事

一方で、「飽きる」に対して色々と工夫することは、とても大事です。

飽きない工夫をどうやるか、飽きさせない工夫をどうやるか。

 

ゲームやアトラクション、サービスにおいては当たり前に行われていますが、

仕事や勉強においては、実はあまり工夫されたり、目を向けられていないように思います。

 

「飽きる」との付き合い方、もっと上手くなりたいものです。

 

15年前と変わらないこと

こんにちは!まだまだ暑いですね。

お盆はみなさま、どのようにお過ごしでしたしょうか?

どこか旅行に行かれた方、帰省された方、お仕事をされていた方など、

色々いらっしゃったのではないかと思います。

 

私はお盆実家に帰って、のんびりと過ごしてました。

(いつものんびりしてるんですが、、笑)

実家には、20代の頃に買った本が大量にあって(結構処分しましたが)、

掘り起こして、何冊か手に取って、パラパラめくったりしてるのですが、

 

今回の帰省では、新卒で入った会社で、ベースとなっていた本を見つけて、

自宅に持ち帰り、読み直してみました。

(私が就職したのは2005年のことなので、約15年前のことです。

 ちなみに、↓の本が書かれたのはそれよりもさらにずっと前です)

 

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そこで今回は、当時のことも振り返りつつ、当時と今で変わらない、

仕事をする上で(に限らずかな)大事な要素を考えてみます。

注:当時、は、2005年〜2008年くらいにフォーカスをあてています。

 

<目次>

技術、組織、色々変わりました

変わらない3つの大事なこと

「年をまたいだふりかえり」は大事

 

技術、組織、色々変わりました

15年前と今だと、私たちを取り巻く環境は、色々と変わりました。

(基本的には全てポジティブな変化だと思っています)

スマホはなく、GPSは発達してなかったので、訪問先に行くのに地図を印刷しましたし、

(一度、縮尺を間違えて、地方に訪問する際に10キロ歩きそうになって、

 結果的にヒッチハイクして目的地に行ったこともあります)

Google Docsは当然なく(オンラインカレンダーはあった)、通信も遅く、

Web会議も今ほど一般的ではありませんでした。

FAXで資料のやりとりもしてましたし。

 

組織はトップダウンが当たり前だし、

SNSもなく、同級生がどこで何をしてるか、は誰かの結婚式とか同窓会とかで

たまに顔を合わせた時に知る程度。

 

主に技術の発展によると思っていますが、仕事の仕方はこの期間で、大きく変わったことを思い起こしました。

 

変わらない3つの大事なこと

今回の主要な、主に本を読んでいての気づきですが、

当時と今で変わらない、大事なことは、主に3つだなと。

(他にもあると思いますが)

1)考え・工夫する

 多くの「作業」は機械で代用できるようになった中、ヒトがするべき仕事は、

 「考えること」「工夫すること」に集約されていってます。

 

2)訓練する

 どんな領域においても、基礎訓練の積み重ねは大事です。

 毎日コツコツと、割と多くのことは地味に、積み重ねることになりますが、

 基礎体力を積み上げる、という過程は、今後も、どの分野においても、

 成果を出す上で大事になってくると思います。

 (もちろん、内容や訓練の質は大事)

 

3)時間を上手に使う

 時間が最も貴重な資源であることは、当時も今も変わりません。

 (過密にするか、適度な余白を持たせるか、時間の質や睡眠時間など、

  時間に対する捉え方や文脈は、変化してきていると思います)

 時間を上手く使う(これも基礎訓練だと思っています)ことは、

 何をするにもベースとなることは、今後も変わらない気がします。

 

「年をまたいだふりかえり」は大事

もう一つ今回気づいたのは、「時を超えて振り返る」って大事だなーということです。

それこそ新卒で入った会社でも、節目節目で振り返る、将来を考える(ライフプランを毎年立てる、というのが慣習でした)ということはやっていたこともあり、

今も、定期的に(年に1〜2回くらい)振り返りの機会は設けているのですが、

振り返る範囲は「直近の半年〜1年」でした。

 

5〜10年、もっと前と今を比べ、振り返ると、「違い」がより明らかになるし、

「当時と今で変わらないもの」や、「当時気づかなかったけど今気づくこと」など、

色々と見えてくることに気づきました。

(昔読んだ「名著」と言われる本をもう一度読み返してみるのは、

 とてもコスパの高い気づきに直結します。

 書かれてることは同じだけど、読む側が変化している。ある程度期間を空けるのが良いな、と今は思ってます)

 

==

 

今回の気づきは以上です。

 

割と直感と偶然の重なりで、今のキャリアを歩んでますが、結果的にとてもラッキーだったなぁと。色々なもの、関わってくださった方へ感謝です、改めて。

 

仕事を楽しくする工夫と努力

こんばんは。

すっかり不定期ブログになってしまいました。

 

書きたいタイミングで、書きたいことを、書きたいように書く上では、

このスタイルが良いのかもしれません。

(定期的に書くのと、どっちがよくてどっちが悪いという話ではないと思っています。

 今はこのスタイル)

 

なので、なってしまった、というよりかは、自然とそうなった、

の方が表現として正しいかもしれません。

(言い訳とも言います)

 

さて、今回筆をとったのは、書きたいことが出てきた、思いついた、ということなんですが、

「仕事をいかに楽しくするか?」を考えたり、工夫したり、努力するのって、

本当に生産的だし、効果的だなぁ、と改めて思ったのです。

 

ちなみにこれを思ったプロセスは、ある事業で、今後の大きな指針について検討していたんですが、

「どうやったらうまくいくか」「どうやったら効率的に進むか」「どうやったらきちんと決まるか」

という視点で考えていた時に、

「〜〜に話聞いてみたら面白いかも」って意見が出て、

最初は、「それ、時間掛かりそうだし、徒労に終わりそうだし、、」と一瞬思ったんですが、

 

よくよく考えたら、話を聞くことで新しい発見があるかもしれないし、より面白い展開が描けるかもしれないし、

結果ダメだったとしても、この検討のプロセスが(時間は掛かるかもしれないけど)面白くなるかもしれないな、と思って、

「プロセスが面白くなるなら、やってみた方が良いな!」

という結論に至ったのです。

 

で、よくよく考えてみたら、

「どうやったら良い結果が出るか」は割と考えてたんですが、

「どうやったらこのプロセスがより面白くなるか」をあまり考えられてなかったなぁと。

 

仕事に限らず、なんですが、プロセスが面白くなるか、を考えるのって、「それ自体」がやっぱりとても面白いんですよね!

 

ということで、目の前のプロセスが面白くなる、面白くすることを、

もっともっと考えて、仕掛けていけたらなぁと思ってます!

(単なる感想で終わっちゃったけど、言いたいことは言えたし書いてて面白かったからよし!)