よはくのらくがき

2005年から社会人、2016年からフリーランス。時折会社員へと往復したり、色々働くを実験・実践中。気づいたこと考えたことをまとめていきます。

【意訳的まとめと考察】ブルシット・ジョブ

先日読んだ本のサマリに、考察をつけて。

(意訳多め、訳したい部分を中心に訳すので、全容が知りたい方は原著をお読みください)

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文化人類学者のデヴィッド・グレーバー氏が2013年に発表したレポートを元に書かれた書籍。

章立ては以下の通り。

 

序 章 ブルシット・ジョブ現象について

第一章 ブルシット・ジョブとはなにか?

第二章 どんな種類のブルシット・ジョブがあるか?

第三章 なぜ、ブルシット・ジョブをしている人間は、きまって自分が不幸だと述べるのか?

第四章 ブルシット・ジョブに就いているとはどのようなことか?

第五章 なぜブルシット・ジョブが増殖しているのか?

第六章 なぜ、ひとつの社会としてのわたしたちは、無意味な雇用の増大に反対しないのか?

第七章 ブルシット・ジョブの政治的影響とはどのようなものか、そしてこの状況に対して何をなしうるのか?

 

【意訳的まとめ】 ※本文からの引用も含みます

ケインズが1930年に、「テクノロジーの進化により標準的労働時間は週15時間になる」と言っていたが、現代においてそうはなってない。むしろ過労が社会問題化するほどに、労働時間は増えている。

これは、ブルシット・ジョブが増えていることに起因している。

 

ブルシット・ジョブの暫定的定義は、【従事者本人すら無意味で、害ですらあると思っている仕事】である。

生産性が高くない仕事や、低賃金の仕事などを想起されることもあるが、これらはブルシット・ジョブではない。

 

ブルシット・ジョブには、

・取り巻き:誰かを偉そうに見せたり、偉そうな気分を味わせたりするためだけに存在している仕事

・脅し屋:雇用主のために他人を脅したり欺いたりする要素を持ち、そのことに意味が感じられない仕事

 →例えば殺し屋や詐欺師など「意図的に」この仕事に従事しており、本人が「意味を感じる」場合はブルシット・ジョブとは言えない

・尻拭い:組織のなかに存在してはならない欠陥を取り繕うためだけに存在している仕事

・書類穴埋め人:組織が実際にはやっていないことを、やっていると主張するために存在している仕事

・タスクマスター:他人に仕事を割り当てるためだけに存在し、ブルシット・ジョブを作り出す仕事

の主要な5類型がある。

 

ブルシット・ジョブに従事することは、そのジョブが生産的でないばかりではなく、当人の精神衛生にも、よくない影響を及ぼしている。

この場合、当人は意識的に、または無意識でブルシット・ジョブであることを認識しており、ブルシット・ジョブに従事することで自分をすり減らしてしまっている。

 

ブルシット・ジョブの多くは、高報酬な傾向にある。高報酬だが、なくなっても実は誰も困らない仕事が、

世の中にはたくさん存在する。

(かつ、当人も実はそれを認識している場合がきわめて多い

一方で、エッセンシャル・ワークと呼ばれる仕事の報酬が低いことがしばしばある。

 

ブルシット・ジョブは、高報酬が故に、これを守ろうとする力学も働きやすい。例えば業務のシステム化や合理化への反対圧力は、至るところで度々働いている。

また、手続きを「あえて複雑にする」現象は至るところで目にする。

 

後半で、ブルシット・ジョブの発生背景としての資本主義の隆盛や、労働の歴史的背景への言及している。

また、「本のなかで政策的提言を行うのを好まない」としつつも、ブルシット・ジョブの解消策としての

普遍的ベーシックインカムに言及しているが、意訳的まとめ、かつ他の書籍等でも多く言及されている部分なので、本稿では省略する。

 

【考察】

「需要と供給の逆転と不均衡」が、現代がこれまでの時代と異なる特徴だと考えているが、本書での指摘は、これが商品市場だけでなく労働市場にも現れている、と言えると考える。

 

逆転について。商品市場においては、「作れば売れる」時代ではなくなって久しい。

これと同様のことが労働市場にも言え、「ケインズの指摘通り、労働時間は15時間で足りる」状態である。

 

不均衡について。例えばフードロス問題がある一方で、飢餓はなくならない。物資過剰やゴミ問題がある一方で、物資不足や生活必需品が揃わない、という問題が生じている。

同じ現象が労働市場にも言え、失業問題が生じる一方で、特にいくつかの職種や業界において、慢性的な人材不足という状態が存在している。

 

より本質的には、「失業が問題」であることこそが真の問題であると言える。

失業が問題なのは、「業」が無いと「生活ができない」ためであり、実はこの問題を解消する一手段として、

ブルシット・ジョブが発生/存在している、とも言えるのではないか。

 

また、ブルシット・ジョブ現象を考えると、雇用者が「やりがい」「モチベーション」の向上に腐心するのは、とても合理的であると言える。

至るところで「仕事や仕事の成果そのものが無意味」という事象が生じているとすれば、自社内にはそんな仕事は無いとする(実際になくす、または無いと主張する)ことは、従業員のリテンションにも繋がり、採用にも効果を発揮する。

 

また、「市場原理/競争原理」は良し悪しがあることも、本書を通じて考察した。

市場原理/競争原理の良い点としては、働く意欲や原動力になることがある。

 

高い報酬は経済的に豊かな生活を可能とし、経済的に豊かであることは、「やれること」を増やすため、

大きなインセンティブ/活力の源となり、結果として「努力する」「上昇する」「成長する」ことにつながる。

 

反対に悪い点として、質の悪い仕事を生み出す原因になると考える。

特に、文化(アートや音楽、文芸など)に関する領域は、「作り手の生活が成り立つこと」が、

作品の(悪い意味での)大衆化や商業化への力学として働いていることがしばしばある。

 

知る人ぞ知る名作、では飯が食えないし、人気の連載(漫画)は継続を求められてしまう。

これは本末転倒だし、人類全体で見れば損失も大きいと思う。

 

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とても意訳だし考察多めだけど、「働くのこれから」に対して示唆に富む本だったので、

関心ある、または関心をもたれた方とこの領域を考察したり議論できたら面白いと思う。