よはくのらくがき

2005年から社会人、2016年からフリーランス。時折会社員へと往復したり、色々働くを実験・実践中。気づいたこと考えたことをまとめていきます。

定量化しないことの価値

こんばんは。

最近書くのに時間が掛かってきてますが、それだけ悩めてるので良い傾向と思ってます。

今回は「定量化」について考えてみます。

 

「KPI」や「目標」は、(おそらくほとんどの)会社で設定されていたり、

運用されていると思います。 

定量化することは良いこととされ、物事の評価も、できるだけ定量化して行われることが多いです。

(試験も点数で測ります)

 

今日は、定量化しないこと、について、考えてみたいと思います。

 

目次

定量化は有効かつ気持ち良い

定量化は強力がゆえにリスクもある

「測れない」に慣れ、定性を「感じ」よう

  

定量化は有効かつ気持ち良い

そもそも人は「知りたがり」「測りたがり」「比べたがる」生き物です。

「理解のできない/得体の知れないものに対する恐怖心」と

「もっと知りたいという好奇心」がそれぞれあります。

(人によって強い弱いはあります)

 

 で、手っ取り早く「理解した気になれる」のが、定量化。

(本当に理解できることもあるし、そうでないこともあります)

 

物事を進める上で、現状を把握し、対策を打つのはとても重要であり、

データが採れるものについては、データを採り、分析し、分析を元に打ち手を考えることは、

より良い打ち手にするために、とても重要かつ有効なアプローチです。

 

そのため、できる限り定量化しようとしますし、

そのままだと測れないものも、「満足度」とかで定量化したりします。

 

とにかく、定量化するとわかりやすくなり、わかることでスッキリします。

 

定量化は強力がゆえにリスクもある

データで示されると説得力がありますし、わかった気になりやすく、

定量化はとても強力です。

 

それ故に、リスクもあります。

 

定量化のリスクには、以下のようなものがあります。

(他にもあるかも)

1)説得が目的化してしまい、恣意的な定量化が行われる

 意思決定を仰ぐ上で、説得力が高いことは不可欠です。

 それが故に、説得するのが目的になってしまい、どうすれば説得できるか?

 意思決定を仰げるか、を考え、そのために必要なデータを、どうにか引っ張ってくる

 結果、ちょっと強引なデータが恣意的に用いられたりして、かつ、

 とても説得力があるので、説得されちゃったりします。

 

2)不自然に定量化したものは、本来の姿を示さない

 無理やり定量化したものは、真実を示さないことは多々あります。

 全てが、とは言いませんが、例えば満足度など。

 満足度が高い=対象者が満足しているか、と言うと、決してそうではないケースは散見されます。

 

3)「定量化したい欲求」は、短期的な成果を要求する

  定量化はとても魅惑的なので、何でもかんでも「どうやったら定量化できるか」

 に結びつきます。

 また、特に最近は変化のスピードが早くなってきているので、短いスパンで

 検証できないか、という欲求は、益々強くなってきているように思います。

 結果として本来の目的が損なわれる、ということも、度々起こります。

 

これらのリスクがあることを認識するのは、とても大事なことだと思います。

(これらが複合的に悪影響を及ぼすこともあります)

 

「測れない」に慣れ、定性を「感じ」よう

定量化は、とても魅力的ですし、とても有効です。 

一方で、「測れないもの」にも(にこそ、と言うべきかもしれません)大事なものはあります。

 

「測れないもの」を測ろうとせず、定性のまま感じ取る習慣やスキル・センスが、

これから、より大事になってくるなぁと思ってます。

(この辺はとても感覚的ですが、ここ何年か特に思うこと)

 

ちなみに、この文章も「思います」を多様してるんですが、

僕が思うに、ビジネス上では「思います」は良くないものとされてきました。

(僕の周りの環境だけではないはず)

 

この辺も、変わってきているように感じてます。